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毘沙門天(金光山 満福寺) 前編


毘沙門堂入り口ここは若林区荒町にある毘沙門堂です。金光山満福寺の境内で維持管理されています。

福や財をもたらす神、武神として戦闘の神、必勝の神といわれる毘沙門天。勝負事にも利益ありとして崇められています。また、自らを悩ます愚かな魔を取り除くとも言われています。ここの毘沙門堂では子育ての神さまとしても知られています。

日本では一般的に憤怒の相で甲冑を身に着けた唐の武将風の姿で、左手に宝塔、右手に金剛棒(もしくは戟)をもって邪鬼を踏みつけている姿がよく見られます。或る寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に日本の国に降臨(あまくだる)したとされています。

金光山満福寺
真言宗。寛永20年(1643)隣接する毘沙門堂の別当寺として開山。明治20年(1887)鉄道開通により仙台駅構内から高福院を合祀。明治37年(1904)火災に遭うが,平成4年に本堂が再建された。

別当寺(べっとうじ)
神社に付属して置かれた寺のこと。神前読経など神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と言った。神宮寺(じんぐうじ)、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)なども同義。


鳥居神仏混合という事で鳥居があるんですね〜。


平唐門こちらの山門は平唐門というそうです。案内板によれば、様式手法から毘沙門堂より時代を下った江戸時代中期の建立と見られているそうです。

唐門としては一段古い形式で比較的小規模な門ですが、重厚で洗練された意匠をもち、仙台市内に残された平唐門として貴重であると書かれていました。


毘沙門堂こちらが毘沙門堂です。
記事にする際に火災にあったと知りましたが、お参りしている時はまったく感じませんでした。


毘沙門堂2毘沙門堂
「荒町の毘沙門さん」で知られ,荒町のほぼ中央にある。文永年間(1264〜75)に平泉の藤原秀衡が運慶につくらせたという毘沙門天を祀る。藤原氏滅亡後,流転するが,北目城主の粟野氏が北目城(太白区八本松)に移し軍神とした。更に粟野氏を破った伊達政宗が寛永4年(1627)に現在地に仮堂を建て祀り,その後,政宗の遺言に従い,寛永20年(1643)に2代藩主忠宗が鞘堂を建てた。明治37年(1904)の火災で表面は焼けただれている。

一説では、戦国時代に周辺を統治していた粟野大膳が北目城で立てこもり伊達政宗の進撃を食い止めていたのは、この毘沙門天の御加護があったからだと云われていました。政宗はこの話を聞いて、自分も毘沙門天に戦勝祈願し、御堂を建てる約束をしたそうです。その願いが通じたのか、北目城が落城し、約束した通りに御堂を建てる為、毘沙門天を運び出しました。
しかし政宗は、誰かが自分を滅ぼす為にこの毘沙門天に願いを賭けるかもしれないと考え、この毘沙門天を放り捨てます。その後、この毘沙門天を子供達が見つけ大人達と一緒に拾い上げ御堂を建てました。毘沙門天は子供達の恩を忘れず常に子供達を見守っているといわれています。


二つのお堂毘沙門堂の左側には二つのお堂があります。


子安観音堂手前が子安観音堂。
子安観音とは安産をかなえ、幼児の無事を守るとされる観世音菩薩を言うようです。


百八体毘沙門堂そして奥側が百八体毘沙門堂です。
こちらも毘沙門天が祀られているんですねぇ。お前立のようなものでしょうか。


金光山満福寺奥へ進むと満福寺の本堂があります。


弘法大師像本堂正面には昭和60年建立の弘法大師像があります。


本堂横の入り口本堂の横に入り口があります。
スタンプラリーのスタンプはこちらで頂きました。


毘沙門スタンプこちらがスタンプです。スタンプを頂戴した僧侶の方に、あの2つ並んだお堂、百八体毘沙門堂の存在を教わりました。さきほどの写真は教わってから撮ったものです。

たぶんここで聞いていなければあの写真は存在しなかったでしょう(笑)


百八体毘沙門堂と子安観音堂ここは毘沙門堂とこちらの百八体毘沙門堂の両方をお参りするのがベターかと思います。
では御真言の「オン ベイシラマンダヤ ソワカ」を唱和しましょう。
これは戦国時代のゲームなどでよく耳にしていた言葉だったので、すんなり覚えられました。

そして記事をまとめつつ、ある重要なことに気付くのです。ここ毘沙門堂では、寅年の8月に行われる大祭の日に毘沙門天の像がご開帳されるそうです。つまり12年に一度の大祭の日に運慶に彫らせたと言われている火災を乗り越えた毘沙門像がご開帳されるわけです。

あれ?今年って寅年じゃないっけ?

こりゃ行くしかありませんね(笑)
はい、その様子は次の記事でご紹介します。


毘沙門天
インドの前期(紀元前1500〜紀元前1000頃)からの古い神で、北の方角を守る神ヴァイシュラヴァナが毘沙門天と訳されており、多聞天と呼ばれる場合もある。ヴァイシュラヴァナとはvi-zru(広く聞く、聞かれる=有名)という動詞からできた名詞で「ヴァイシュラヴァスの子」の意で、インド神話の財宝神クベーラを前身とする。
日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。毘沙門天をはじめ四天王は邪鬼を踏んでいるが、これを天邪鬼(あまのじゃく)といい、仏教の教えやそれを信じる人々に害をおよぼす邪鬼であるいう。日常生活でもアマノジャクという言葉が使われるが、実はここから出ている。この天邪鬼のモデルは、毘沙門天の鎧の腹部にある鬼面だという。
また、吉祥天は毘沙門天の妻と言われている。戦国時代の大名・上杉謙信はその神懸りな戦いぶりから毘沙門天の化身と言われていた。

クベーラ
インド神話の富と財宝の神で、地下に埋蔵されている財宝の守護神。ヴァイシュラヴァナの起源。その起源は土着神であり、バラモン教が隆盛を誇ったヴェーダ期には洞窟や地中に棲む妖怪、あるいは盗みの精とされた。叙事詩『マハーバーラタ』あるいはプラーナ文献において初めて財宝の神として記述される。容姿は矮小、八重歯、一眼。
元々盗みと財宝の土着神であるクベーラ神は仏教で北方を治める四天王であったが、当時最も盛んだったインド北部のガンダーラにおいてギリシャ系のファッロー神(ヘルメス)と習合してヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)と呼ばれるようになり、特に重視された。逆説的に、原初起源の性質を軸に再分解した結果が寅丸星とナズーリンという見方も可能である。

吉祥天
もとヒンドゥー教の女神であるラクシュミーが仏教に取り入れられたもの。仏教では毘沙門天の妃とされる。繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされ美女の代名詞として尊敬を集め、主に貴族から崇拝されていた。

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